小栗康平 手記

人が人を思うように

2025/08/28

群馬県邑楽郡邑楽町(おうらまち)で年に一回「邑(むら)の映画会」なるものが催されている。邑楽町の「邑」は「おう」「ゆう」とも読み、意味としては「むら」である。今やどの町にも村にも映画館はないから、主催者が「邑の」とむしろ胸を張っているようで、いいネーミングである。始まったのは二〇〇八年で、コロナ禍で三年休んで今年で十五回を数えるまでになった。その第一回目の番組はアルベール・ラモリスの『赤い風船』と『白い馬』、川本喜八郎の人形アニメーション『花折り』、フレデリック・バックの『木を植えた男』、そして私の『泥の河』だった。
子供も大人もいっしょに楽しめることを求めた上映会だが、これは群馬県で始まった小学生のための映画教育が下地となっているからである。
『眠る男』(一九九六年)は群馬県が製作した映画で、である以上は学校教育の場で子供たちにも広く見てもらわなくてはならない。しかし先生方が見ても『眠る男』はよく分からない。だったら「鑑賞の手引き」を作ろうと県の教育委員会から私のところに相談があった。その手のものはろくでもないものと相場は決まっているので、だったらいっそのこと公教育の場で映画教育を始めませんか、と提案したのがことの起こりだった。
メディアリテラシーと言った学習はそれまでもなかったわけではないけれど、映画そのものの仕組みを学ぶ映画の教育は日本では行われていなかった。仕組みと言ってもさほどたいしたことではなく、映画はショットが組み合わさって出来ている、そのショットは作り手の意志によってフレームが、アングルが決められ、ショットの長さもそれぞれに意味がある、といったまったくの基本を学ぶもので、つまりは、映画は「作られたもの」であることを具体的に知っていくための勉強である。
とは言え「成績を上げてほしい」が優先する教育の現場では、映画なんて見ればわかるでしょうが大方で、すんなりと成立する話でもなかったが、『眠る男』の製作は知事の小寺さんが陣頭指揮をとったものだから、無下に潰すわけにもいかず、限られた学校、限られた先生たちによってなんとか動き始めた。私も先生たちの集中講義に出向き、いくつかの小学校へ出前授業にも行った。映画のそれぞれの好みが、恣意的に、商業的に形作られる前に、やるべきことがあると考えてのことだった。しかし世の中の一般としても映画を学ぶことそのものがあまり理解されず、知事が交代したら潮が引くように映画教育は消えてなくなった。政権が変わっての意趣返しのようなこともあったかもしれない。
でも折角始めたいい取り組みなのだからそのまま立ち消えにしてしまうのは残念だと考えた人たちもいて、その精神を引き継ぐように立ち上げたのが「邑の映画会」だった。いわば映画教育の発展的継承だから、どういう映画を組み合わせたらいいのかが難しかった。私も作品選定にはかかわってきている。
ユーリー・ノルシュテインのアニメーション、小津安二郎、清水宏の作品、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』。ゴービンダン・アラビンダンの『魔法使いのおじいさん』は、切れていた版権の許諾をとるために会の代表者である加藤一枝さんが直接、インドのエージェントと交渉したりもした。しかし、回を重ねる毎にだんだんと手詰まり感のようなものが生じてきたのも事実である。子供たちのためのワークショップをいつも併設してやってきてはいるけれど、二兎が追えない。
だったら自分たちが本当にやりたいと思うことをやろう、と今年になって出てきたのが拙作『伽倻子のために』だった。これまでにも上映の候補作品に上がっていたとのことだったけれど、在日韓国・朝鮮人を主人公とする「政治的、歴史的問題」、若者たちの恋と性愛、などなど地域社会に気づかって躊躇してきたところなしとは言えず、踏み切れなかったようだ。相談を受けて、ぜひやってほしいと私からお願いした。
今の世の中の中心にあるのは、AIを筆頭としたデジタル万能の社会認識だろう。携帯電話、パソコンの本人認証は画像で瞬時になされる。至る所に設置されている「防犯カメラ」なるものによって「犯罪者」の割り出し、追跡も全国エリアで可能になっているらしい。加えて、フェイク画像の反乱は目を覆うばかりになった。これらの画像に根本的に欠けているのは、人が人を思う、その情動の強さだ。当然と言えば当然のことだが、今や映画のそれもそうなっていないかと心配になっている。思いのかけらも感じられないような、物語が指示しているだけの人物の像を見せられてもこころは動かない。なにか大きなことがずれたまま崩れているようにも感じられる。
恋するように、慕うように、焦がれるように、思い、心配もして、人の姿を思い浮かべることが、人間の眼差しの根底にある。映画はそこに依拠していた。人が人を思うように私たちは人を見ている。私の作品の中では『伽倻子のために』でその思いが強かったように思う。人だけではないかもしれない。風景も自然も、ものも、いのちがいのちあるものに向かい合うときには、必ず生きて動くものがある。

『伽倻子のために』は十一月一日に邑楽で上映される。詳しくはいずれここでのお知らせでもお伝えしたい。私も行って短い挨拶をしようと思っている。

小栗康平

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