小栗康平 手記
さて、どうしたものか
2025/06/12
家の近くの細い農道に桑の木が覆いかぶさっていて、この時期になるとその実が道に落ちて車にひかれ、ジャムのようにねばりつく。「ポーランド人はこのジャムが大好きなの」と教えてくれたのはロシア・ポーランド文学者の工藤幸雄さんの奥さん、久代さんだった。久代さんは生涯、化粧品の類を使わず、洗顔は米ぬかで通していていた。根っからの自然派である。お住いだった祖師ヶ谷あたりではなかなか桑の実は手に入らなかったと思うが、ご馳走になったことがある。日向臭いような、独特な野性味がある。お二人とももう亡くなられている。
甘いものが少なかった子供のころ、この濃い赤紫の、ちょっと細長くなった木の実につい手が伸びた。ただ赤痢が流行っていた時期だったからなのか、親からは食べてはいけないと言われていた。しかし子供は怖いもの知らずである。家に帰ると食ったかと問われれば、食っていない、なら口を開けろ、でピシャリと叩かれた。口のなかが青黒くなっていて、誰が見ても一目瞭然、すぐにばれてしまうのだ。郷里の群馬は養蚕県だったので、桑の木はいたるところにあった。でもジャムにしてもらった記憶がない。ジャムを必要とするような食生活そのものがなかったのかもしれない。
食べ物は記憶とよく結びついているから、その共有がないとよろこびは半減する。幼年期に野原で遊んだことのなかったカミさんは、桑の実のジャムを作ろうと誘ってものってこない。なにも「そんなもの」まで食べなくても、が実感なのだ。一人で農道まで桑の実を採取に行ったりはしたが、どうも様(さま)としてよろしくないのか、ジャムになったのは一度だけで、続かなかった。
その桑の木が、実生で庭に生えた。ただそれが桑の木なのか楮(こうぞ)の木なのかよく分からない。同じ桑の仲間である。今年、その木に実がついた。桑だった。家で採るのだから誰にも文句は言われない。心置きなく摘んで、自分で桑の実のジャムを作ろうと思っている。
楮は和紙の原料になるもので、雑木林の際などによく見かける。ところが思い出してみると、楮の実を食べたことがない。調べてみたら、甘さはこちらの方が上のようで、形状も丸々としてルビーのようでもあり、おいしそうである。楮は雌雄別株でそれがいっしょに生えていないと実にならないらしい。だからなのか、これまでその実をあまり見かけなかった。そう分かると、今度は楮の実を探す気になっている。
映画の専門誌を読まなくなって久しい。定期購読していた雑誌もなくはなかったが、積み上げられたそれらは果たして資料として残しておくようなものなのかどうか、判断に迷っているありさまである。
それでも週に一度程度は新聞に載る映画の紹介記事やインタビュー、映画評らしきものは目に入ってくる。新聞の役割は世の中で起きていることを伝えることだろうから、どんなひどい時代になっても、なんとかいいものを見つけて紹介しようとする。若い才能を見出すのも役目だ。ただその書きぶりが、公器としての自信からなのか、いい、悪い、の判断はこちらで分かっています、といったふうになりがちで、ときには映画とは何かと書き手が自身を問い返すような記事も読みたいのだが、あまりお目にかからない。読後に残るのは、逆に現実追従ともとれる嫌な感じである。
ジャ・ジャンクーの新作『新世紀ロマンティクス』を見た。私は九十七年か八年にプサン映画祭で、彼の『一瞬の夢』を見ているから、知ってから四半世紀になる。『一瞬の夢』は北京電影学院の卒業制作だったらしく、十六ミリで撮られた粗末な体裁だったが、チェン・カイコーのデビュー作『黄色い大地』などとは違って、もっともらしいハッタリは微塵もなく、田舎臭い町の、田舎臭いワルの青春映画で、中国の地方から生まれ出てきた「根おい」の映画、と言ってみたくなる作品だった。プサン映画祭はこの時からコンペ部門が始まり、たまたま私も審査員の一人に入っていて、グランプリが満票で決まった。
以来、ジャ・ジャンクーの映画はみな見てきている。作品の本数が重なるたびに、映画はよくなっていくかと言えば、一般的に言ってもこれがなかなか難しい。むしろ逆のケースが多いかもしれない。興行の成否もあるだろうし、当の本人が映画を分かってきたように思えて堕落することもある。二作目までは間違いなくその人のものなのだが。
ジャ・ジャンクーの映画はどうだったろうか。見続けてきたのだから惹かれて、ではあったが、回数を追うごとに少しずつ違和感が広がっていくような微妙ななにかが、私にはあった。
映画のタイトルはより多くのお客さんに来てもらうためのもの、と考えれば神経質になるようなことではないのかもしれないが、新作の中国語の原題は『風流一代』で、この漢字表記とてそのまま日本語的に理解をしていいものかどうかは分からないが、少なくても『新世紀ロマンティクス』の邦題はいただけない。監督が自分で望んだものではないだろうけれど、いかにも狙い定めたかのような大時代なこの邦題が、ジャ・ジャンクーの今の立ち位置、結果として背負わされている商標のごときものを如実に示しているようにも思える。
自身の過去作品の引用をしながら、いつもの俳優がいつものように出会いと別れを繰り返して、コロナ禍のミレニアムを迎える話だが、当然のことながら、そこにはこれまでの映画の特性が色濃く反映する。
二作目の『プラットホーム』は、一作目と同様、生まれ育った山西省の古びた白っぽい石の町が舞台だ。共産党政権下で、旅回りのように「娯楽」を提供していく「文化工作集団」の青春群像で、見方によっては、中国社会におけるジャ・ジャンクーの映画的な自覚、その出発をよく現わしているともとれる映画である。
以来、歌って踊っての「歌謡映画」、チンピラやヤクザ者たちが殺人まで起こしてしまう「暴力映画」、そしてなによりも中国社会の激変するさまと、そこでの労働者、人民たちの暮らしぶりを映画の劇に隣接して取り入れてくる「風俗映画」、これらはみな、ジャ・ジャンクーらしさを現わす映画の傾向である。彼を貶めるためにこんな物言いをしているのではない。それらの傾向はときに映画を生き生きとさせる。「ジャンル映画」として方向づけられたものであれば、観客も安心して見られるだろうし、作り手もそのことでむしろ想像力が膨らむことだってある。
問題は「ジャンル映画」を撮ろうとしていないのに、作り手が精神の緊張を欠いて結果として「ジャンル映画」の様相をもってしまうことだ。『新世紀ロマンティクス』を「歌謡」「暴力」「風俗」を併せ持った「ジャンル映画」だと言ったら、この映画を高く評価をしている人たちは怒るかもしれないが、ぎりぎりそんな危うさもないわけではないと私には感じ取れた。
過去作品にはその過去作のみが手に入れた、独自な時間がある。その時間を新たな映画の時間に重ね合わせようとしても、映画はその作品だけが持つ固有の時間によって成立していくのだから、簡単にはいかない。表現のスタイルが同じだからといって、「時間」を引用できるわけではない。
配信ではあったけれど、『長江哀歌』を見直してみた。不思議なことに、かつて見たようには見られなくなっていた。疑問に感じていたことがむしろ拡大されてはっきりと感じ取れたことに自分でも驚いた。
『長江哀歌』は、世界最大級の水力発電ダム、長江三峡ダム建設のじっさいの工事が進行する中で描かれる。この国家事業によって百十万人にも及ぶ人たちが強制移住の対象となり、多くの町が湖底に沈んだ。一党独裁の強権政治がなくては果しえない、それなくしては不可能とも言える、自然の大改造だった。
中国のそうした政治体制の中で、映画監督が撮ろうとするものをどうやって実現していくのか、そこでの労苦は私などの想像を超えて余りあることだけれど、映画として示された手法から、その精神のありようを類推することは出来る。
ジャ・ジャンクーは、肉体労働者や貧しい生活者たちに紛れさせて、役者を置く。例えば船上の人々である。基本は望遠レンズによる盗み撮りに近いもので、タバコを吸い、好き勝手に話に花を咲かせる屈託のない元気な人たちを長いパンニングでとらえたのちに、船のふちに座っている役者が現れる。撮影された人々に、自分たちが撮られていると言う表情はない。一部にはエキストラとしての演技もあるだろうし、ショットによっては、カメラを見ないでくださいと言った程度のお願いはしているかもしれないが、演技者はじっさいの生活者に紛れていて、虚実の分かれ目がはっきりしない。はっきりさせないやり方である。セリフのある芝居場は、その延長に設定されるから、映画を見る者はそれらがみな同一の時空間にあるものとして受け止める。
正確を期さなくてはならないところは、その「寄り添い方」だろう。労働者、民衆、生活者、人民、呼び方はなんでもいいけれど、それらの人たちは映画が描こうとしている感情のベース、共感として在るのか、背景としての被写体なのか、その距離の見定め方はとても大事なところである。一歩間違えれば、簡単に利用主義に陥る危険性はいくらでもある。映画でのヒーロー、ヒロインが「ヒロイズム」そのものを現わすようなことになってはいけない。映画の怖いところだ。
映画には一本一本、その都度、超えていかなければならない「嘘」がある。堪えていかなくてはならない「嘘」が生じてくる、と言ってもいい。さまざまなレベルでそれは障害として立ちはだかってくるが、マニュアルはない。前例によっても超えられないし、みんないっしょに、でも超えられない。いつも一人で新しく超えるしかないものがある。
『新世紀ロマンティクス』のラストは年老いて生まれ故郷に戻った男が、スーパーのレジで働く昔の女と再会を果たす場面だ。買い物したスーパーのレジ袋を女が持って、無言で二人は歩く。男は足を悪くして歩くのが不自由だ。交差点に来て、女はそのレジ袋を男に返して、走ってきたジョギングの集団に分け入っていく。ジョギングは女がこのところやってきている習慣らしい。走る人々は次から次へとその数を増して道一杯に広がっていく。この時の集団とは何か。明らかにジャ・ジャンクーがかつての映画でとらえようとしていた労働者たちではない。性格のない群衆、集団という「概念」である。
映画はどうであれ他者、他の事物を撮ることでしか成立しない。その他なるものは、政治とも、世の中の暮らしの変化とも、無縁ではいられない。映画が天下、国家を論じなくてはならない理由などさらさらないが、長く映画を撮り続けていると、天下、国家なる大きなものにいつの間にか蝕まれて、押し返せなくなってきてしまうことが、確実にある。よほどの力が必要なのだろう。
いつまでも桑の実だの楮の実だのと言っていては始まらないが、さて、どうしたものか。
小栗康平